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スタジオフリーの物語

80年代を駈け抜け30年、ようやく過去の私と向き合う

私の軌跡ー3-1

転機へのカウントダウン

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再度、書くべし、書くべし、書くべし!

 

もうね、いいよ、すっ飛ばして書く。

 

スタジオフリーは、1章後半で書く予定の、

わたくし妊娠中の、謀反劇によって、窮地に追い込まれておりました。

 

赤坂の事務所家賃は、バブルのまま、10坪40万円、駐車場だけでも10万円。

残されたスタッフは、妹ひとりだけでした。

 

もう一休さんのトンチも効かず、お手上げ状態。

 

藁にもすがる思いで、妹の友人のパパ経営のパッケージ会社で、仕事をすることになりましたの。

 

ただ、登記上スタジオフリーは残し、表面上は友人パパの会社の社員として、デザイン部を立ち上げること。

デザイナーは、自力で招集すること。

 

赤坂の事務所は閉鎖して、友人パパの会社にすっぽりと収まったのでした。

 

そこで、繰り広げられた様々な、大人の都合に、

大、大、大、大転機が訪れることになろうとは、

その時はまだ、知るよしもありませんでした。

 

写真は、後の流通大手企業のPB=プライベートブランドの、大革命?(自画自賛)を巻き起こした、記念ある1品です。

 

私がデザインしましたーーーーーーーーーー!

 

缶コーヒーが、まだ茶系1色だったなか、青色デザインを、一番乗りで導入したのは、私です。

(誰も言ってくれないので、自分で言います。)

 

なんて、過去の栄光語るおやじみたいです、私。

 

まあ、いいか。

 

その後、続々と、ある冒険的なプランとデザイン戦略で、二作目以降大ヒットとなり、日経ランキングの横綱に昇格いたしましたりして。

 

紆余曲折、紆余曲折の3章の幕開けです。

 

続く

 

PS

めっちゃ、はしょった記事、二回書く気にはなれず、いずれまた、忘れた頃にお書きいたしやしょう。

 

ばいなら。