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スタジオフリーの物語

80年代を駈け抜け30年、ようやく過去の私と向き合う

私の軌跡ー2.5-1

自由への憧れ

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写真 右は私、左は上の妹

 

徐々にブログの本質へと近づきます。

私は、毎週日曜日の朝、絵を描きに出かけました。

 

よくある児童画教室ではなく、画家の集まりがある本格的なアトリエでした。

 

なぜ、そこだったのかは、もう母が亡くなっており、

本当の理由はわかりません。

 

そこは、平屋の素敵なおうちで、

広く手入れされた芝生と、入り口へ続く黒い玉砂利の小道、

四季折々の花が咲き、バラ、水仙、大輪の菊など、

アトリエは天井までの手作りガラスが張られて、

とても日本の家とは思えない、素敵なおうちでした。

 

子供は私たちだけで、あとは数名の画家さん。

たくさんのイーゼル、キャンバス、油絵の具、パステル、

鉛筆のいい香りに包まれ、心地よい空間でした。

 

オーナー画家で、私が師事したのは、元一陽会の熊田藤作先生、現在画家としては引退しておられると思います。

 

3歳くらいから、16歳までの、13年ぐらい通いました。

 

デッサンや水彩画の基礎は、熊田先生から習い、

中高の美術の先生には、申し訳ないのですが、

生意気にも、学校の先生から習うことはないと自負していました。

 

土曜日は、熊田先生の奥様から、英会話を習いました。

これも、5歳ぐらいから16歳までの、10年くらい。

奥様のお父様は、もとT中総理大臣の通訳をされていたかたで、

奥様ご自身も、いまでいう帰国子女でした。

 

いわゆる、英語教室ではなく、日常会話や、アメリカのお祭り的なイベント、

なんとかファミリークラブにも似ているような感じです。

 

その他の平日は、

習字が2回、これも10年、6段まで取得しました。

長く続けられませんでしたが、数年花柳流の日本舞踊も習い、発表会にも出たりしていました。

 

なにしろ、忙しい毎日。

 

学校、店番、妹の世話、習い事、犬の散歩、もろもろ。

 

絵を描く2時間。

 

これだけが、世俗を?忘れ、

唯一、自分に浸れる時間でした。

 

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熊田先生は、いつも白い絵を描いていました。

風景が多かったと思います。

 

その影響で、私も風景をよく描くようになり、山、木々、湖、海、空、雲といった、

自然にまつわる描き方は、厳しく指導された記憶があります。

 

あと、独特なのは、空想画です。

なんでもすきなものを、かたちに囚われずに描く。

 

「とらわれない発想」これが、わたしの基本の軸を作っていくのでした。

 

 

続く