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スタジオフリーの物語

80年代を駈け抜け30年、ようやく過去の私と向き合う

私の軌跡ー1-5

1章 スタジオフリー設立~中期

使命感と損得の、表裏一体

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写真紋章と、ロゴマーク(英文)は私デザインです。

 

DEAR FIT 再創刊6号目あたり、

一万人へのフリーペーパー郵送、フィットネススタジオへの設置、広告収入も順調に伸びてきておりました。

 

が、もう、会社自体がもたない。

自分の給料も自宅アパート家賃を滞納しても、もう無理。

印刷費の支払いも遅れ始めた。

 

そこで、スタジオフリー設立メンバーのJ子さん、頼りになる元T企画のNさん(上の妹の伴侶となります。)

と、3人で極秘会議を開きました。

 

「Nさん、せっかく読者も広告も増えて、DEAR FIT 終わらすのは、中途半端でいやなんだ。

私が、DEAR FITの負債抱えるから、ゼロからのスタートで、事務所もそのまま使っていいし、引き継いでくれない?」と、私。

  

「いいっすよ。」とNさん。

 

「J子さん、私、負債抱えたまま、みんなの給料払えないし、ここで解散しようと思う。」

「みんなには、私からひとりひとりに話しをする。J子さんはどうする?」

 

「私は、実家の家をビルにして、ふとん屋を何かべつのものにもしたいから、スタジオフリーやめるよ。」と、J子さん。

 

そして、スタジオフリーは、

Nさん率いるフィットネスジャーナルとして再々創刊され、

J子さんは、ライフアートという、別デザイン事務所を立ち上げ、

 

私は、妹ふたりと、どうしたものかと思案しておりました。

その間、およそ、1年。

 

見かねた父親が、

「お前、ちょっとちゃんとした服着てこい。出かけるぞ。」

 

「お、お、お、お父さんどこへ?」

 

電車に乗り、着いたのは永田町。

 

「俺が運行しているへりな、実は、政治家のY氏、経済界のT氏、芸能界のS氏の三者で所有しててな、T氏は、ゴルフ評論家のT張氏監修のゴルフ場を造成するんで、会社を作ったらしい。」

「ひとまず、Y氏に挨拶にいく。」

 

そこには、テレビでよく見る偉いお方がいて、

 

とんとんと、

 

赤坂のT張氏所有のマンションで、ゴルフ場の一切がっさいのデザインを請け負うことになりました。

 

あれれ?

 

でもね、常々頭にあるのです。

 

私は、フィットネスのデザインなんかしたくない。

私は、ゴルフ場のデザインなんかしたくない。

 

じゃ、なんでやってるの?自分。

 

それは、損得勘定からです。

お金のために、好きだった「デザインすること」そのものが、嫌いになってしまい、

なおかつ、こう作れば担当者に受ける。

こうもっていけば、受注量が増える。

 

経営には必要なのかもしれませんが、大切な何かを「パンドラの箱」にしまってしまいました。

 

結果、再び、スタジオフリーは蘇り、営業3名、デザイナー3名、そして私。

 

頃はバブルです。

ゴルフ場です、リゾート施設です。

 

100万円の束が飛ぶように、あっちいってこっちいって。

 

年商は1億円を突破しました。

 

でも、心は空虚。

 

そんな、矢先、私は長男を妊娠し、生むことを決めました。

 

続く