スタジオフリーの物語

80年代ホップ、2017年ステップ、NOW。

私の軌跡ー3-4

崩壊とメタモルフォーゼ-2<フィクションとしてお読みください>

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<1991年頃の話です。>

 

スタジオフリーがすっぽり収まった、G社。

妹の友達パパA社長との約束事はこうでした。

 

●スタジオフリーは登記上残す。(本店・港区)

●流通D社のパッケージデザインを社内で全てできるようにしてほしい。

●売り上げ目標は、月商300万円。

●部署名は、G社I部とし、給与はG社から支給する。(本店・千代田区)

●スタジオフリーは、毎月G社系列同社長のA社にデザイン料を請求する。(本店・中央区)

●流通D社との取引は、A社の社員として行動する。

●デザイン料の請求金額はA社20%、スタジオフリー80とする。

●支払いは、小切手または現金即日とする。

●スタジオフリー受注額より、G社に移行するために支払えない借入金、外注費などを、紹介する代理人を通じ、任意整理を行う。

●G社I部は、G社に近接する岩本町とする。(千代田区)

●D社が軌道にのったら、競合J社もデザインをとっていきたい。

●その他ぐちゃぐちゃもろもろ。(めんどくさ 頭の中)

 

 

A社長は、同じ埼玉県市内で、

当時、私自身も、長男を24時間みてもらっていた実家とも近く、

退社後は、決まって首都高速を、社長の後をついて、2台で走りました。

 

たいてい、高島平インターで降り、2時間ほどの打ち合わせを兼ねた食事をとりました。

 

そして、

いよいよ、おおまかな方向付けが決まり、スタッフをそろえる段階まできました。

 

私も、少々駆け引きが必要かなと、

 

スタッフ内に、

A社長の次女を事務員、三女をデザイナーとして指名しました。

結果、ムサビの友人をチーフとして、下のデザイナーに妹とA社長三女、

D社への営業要員として、G社の営業Y氏となりました。

 

「ほんでな、僕これまで10年以上A社からは、一銭ももろてないんや、社長やで僕。w」

「自分(私)な、自分とこの会社整理できよるんやし、三女にでも渡してもろたらええんや。」

 

要するに、受注金額の現金のなかから、三女経由で、お金の流れをつくりたいということでした。

 

「ほんでな、このあと、一緒に行ってもらいたいとこあんねや。」

 

着いたのは、キリスト教会でした。

 

「実はな、うち家族全員クリスチャンやねん。」

「僕、ここの役員でな、こっちS牧師せんせ。」

 

なんで?教会?は?

 

「自分、これまで大変やったやろ。ほんでな、僕も若い頃大変やってん。

自分、洗礼受けんといかんやおもてな。」

「三女に渡してもろたぶんも、こっち(教会)でも必要や思うねや。」

「Hさん(D社の東京本社のトップ女性)もな、毎晩僕に電話してきよって、なんやお金たりひん、どないしよ、死にたいわあてな。」

「ほんでな、そっち(トップ女性)も、助けなあかんやろ、自分どう思う?」

 

要するに、

自分にお金を回せってことね。

で、洗礼受ければ、利害関係一致ってことね。

ぐちゃぐちゃ、持って回った言い方で、メンドクサイ奴!

はっきり、言えばいいじゃない。

 

「金よこせ、証人は牧師。」

 

続く