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スタジオフリーの物語

80年代を駈け抜け30年、ようやく過去の私と向き合う

私の軌跡ー3-5

3章 スタジオフリー崩壊までの話

崩壊とメタモルフォーゼ-3<フィクションとしてお読みください>

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<1992~1994年ごろの話です。>

 

いや、とりあえず、わけもわからぬまま、

私と妹は洗礼を受け、人質(?)ふたりづづを持ち、

ただ、これまで、事務所経費やら人件費やら、

あれこれの資金繰りから開放された私。

 

それこそ、蝶のように舞い、蜂のように刺すべく、

デザイン、デザイン、デザイン。

水を得た魚のように、次々と売り上げも、地位も得ていきました。

 

デザインは、3章、冒頭の缶コーヒー、チョコプレッツエルなど、

主要な食品アイテム100点近くデザインしました。

 

その頃、原稿依頼を受けたものが下記です。

 

jglobal.jst.go.jp

 

そんな毎日が2年を過ぎ、3年近く経った、正月休み明けの朝、

税務署の方がお見えになったわけです。

 

その日の退社後。

 いつものように、2台連なり、打ち合わせ、& 教会応接室へ。

 

「自分な、うちの社員200人もおんねや。なあSせんせ。」

「うちの会社倒れたら、200人も路頭にまようわ。」

「妹さんもおんねんやし、自分が全部つこーたと言うてもらうんが、一番ええとおもうんねや。」

 

私も、このパッケージデザイン旋風を止めることができず、自分の将来も、実家の将来も、ぐるぐると考えても、よい結果がでません。

 

「わかりました。」

と、社長と牧師と、妹やスタッフを信じたわけです。

 

が、毎日毎日、六ヶ月。

 

しかも、関係大手D社まで捜査が。

逮捕者でるかも?くらいまできてしまいました。

 

これは、もうおみやげなしで、本店支店の方々が、引き上げるわけありません。

 

本社も支店も、

「氏家さんさ、こっちも内偵で、わかってんのよ。君じゃないでしょ?社長でしょ?」

とおっしゃるし。

 

そして、こりゃえらいこっちゃ、とA社長は、トカゲの尻尾きりに、突然豹変したのです。

 

「おう!おまえ(私)、うちの会社の金、6000万円も何に使い込んだんや!」

 

はい?

 

あなたでしょ?

お金、三女経由で、あなたでしょ?

 

事務所で三女に

「ねえ、三女さんのお父さんに渡したお金の件なんだけど。」

 

と申しましたところ、

「いやあああ、覚えてないいんですうううう。」

「しらないんですううううう。」

 

やられた!

 

はめられた!

 

ここから先、A社長ご用意の、○○○さんみたいな、怖い大阪の税理士呼んで、

私のつるし上げにかかりました。

 

毎日。

 

箱崎のホテルのスイートルームに監禁されて、G社経理総動員、怖い税理士、おつきのしたっぱみたいな奴。

 

取り囲まれて、罵声浴びました。

 

あれ?

中学のときもあったなあ、、、、。

 

でもね、A社長じゃないのよ。

わかっちゃったのよ、リークした真犯人。

 

 

それは、、、、、なんと、、、、、私の近親者。

 

 

続く

 

注 A社長は、1995年頃に病気で亡くなっています。