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スタジオフリーの物語

80年代を駈け抜け30年、ようやく過去の私と向き合う

私の軌跡ー9-0<きっかけ>

9章 障害

学童期の子育ての悩みは、どうする

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写真は、父親と孫である私の長男

 

 

 

 2011年1月頃。

 

私は、あるNPO法人の設立準備をしていました。

 

内容は、不登校児の親子の居場所づくりです。

 

不登校とひとくくり、そんなものではないと、

身をもって、体験した、長男との生活のこと。

 

多分、あの当時、長男が小学生ではなく、1~3歳児ぐらいだったら、

私は、長男を死なせてしまったかもしれないからです。

 

食べ物を、何とか、自力で飲む、食べる手段を知っている、または、買い物に行くことができるなら、命はなんとか持ちこたえるでしょう。

 

それは、親の家庭環境が複雑だったとか、片親だったとか、貧乏だったとか、

あそこの子供大丈夫かな?と、周りが気がつかないような、

 

裕福で、PTAもばりばり、仕事もばりばり、地元の名主であっても、

 

ある日、突然、思いもよなない出来事が、あったりするもので、

 

逆に、なんの免疫も持たない、上流、中流家庭で育った子供が、親になったとき、

その方が深刻なのです。

 

私も、その部類ではなかったか、と思います。

 

まず、プライドが許さない。

 

自分にも、周りにも。

 

「不登校」とは、同じ線上に、あるだけのことです。

 

そして、

 

親も気がつかない、発達障害やグレーゾーンの、

育てにくいとか、癇癪もちとか、

できれば世間にも、学校にも、

まま友にも、悟られたくない。

 

市役所なんて、何してくれるの?

お金くれるの?

子供の世話してくれるの?

 

と、思っている方多いでしょう。

私もそうです。

 

子供が学童期にはいると、

否応なしに、学校へ来いと、督促の電話、親としての責任を問われ、

どんどん、自分を追い詰めます。

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母親と孫の私の長男

 

 

いいんです。

 学校いかない期間があっても。

 

教育は、憲法で守られた、人間としての権利です。

勉強すること、知識を得ることは、権利です。

親は子供に教育をさせる義務はあります。

 

でも、休んではいけない!とは、書いてありません。

 

息子は、小学5年生から、中学3年半ばまで、学校に行けませんでした。

 

いじめでもなんでもなく、

 

私が死んでしまわないか、心配だったのです。

それに加え、FF11の昼夜逆転、バーチャルとリアルの区別がつかない、

優先順位がわからない、負のスパイラルでした。

 

が、

 

今日現在どうかというと、

 

高校は偏差値40くらいではありますが、なんとか卒業し、

美容師の専門学校に行き、

国家試験をパスし、好きなヘアスタイリストを目指しています。

 

よく、子殺しなど、児童相談所はなにしてるんだ!と、

ニュースなどでも目にしますが、

これは、本当に紙一重。

 

うちの場合、息子、11歳くらいだったかな、

 

ぽつりと、

 

「俺、人生、終わったな。」

 

と、耳にしたとき、本当にこれでいいのかと、悩みました。

 

しかし、身体が動かない、気力もない。

 

児童相談所には、私から電話しました。

 

「これこれこうで、息子を預かってもらえないか?」

「できません。命に問題ある子供が優先。

 

時たま、児相の職員が、季節に1回くらい、卓球やったり、

散歩したりにつれていってくれました。

 

多分、私、児相に50回以上の催促、

最初のお願いから、4年近くかかって、

もう義務教育タイムリミットのとき、

あきらめずに、連絡したとき、

 

「ある、児童養護施設空きがでたので、預かれます。」

 

それは、日高市にあり、院長先生もケースワーカーの先生も、

住居としての個室もあり、息子には合っている、

その方々を信じられると思いました。

 

 

ここまで、書いて、お分かりかもしれません。

 

現実、児童養護施設は満杯なのです。

 

児相では、一時保護といって、およそ1~3ヶ月の期限付きで、

問題があるなしにかかわらず、施設に空きがでない限り、

子供は預かれないのです。

 

そのまま、家庭へ戻される。

 

 

私も、施設が、見つかったとはいえ、

預ける当日、そこに向かう車中、

 

何度も、何度も、

引き返して預けるのをやめよう、と言おうか、

 

身を引きちぎられるほど、さびしい、

 

高校いけるように、練習するために、ここで暮らすんだよ。

 

といい、繋いでいた手を離しました。

 

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そして、4年後。

 

18歳で退所し、私のところに戻ってきました。

 

これも、賛否両論あると思いますが、

 

親が元気、健康でなかった場合、

もしくは、実家が頼れない、

打ち明けられる人がいない。

 

 

NPOには、地元の賛同者、

息子がお世話になった施設、

様々な方が、たくさんあらわれ、もう登記寸前でした。

 

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そして、3.11の地震が起こりました。

 

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続く