スタジオフリーの物語

80年代を駈け抜け30年、ようやく過去の私と向き合う

私の軌跡ー3-8

崩壊とメタモルフォーゼ??????

 

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G社A社長このやろう、ばかやろう。

なんだか、もう、人を信用することができなくなっていて、

<偽善者>ばっかじゃん、世の中!

と。思っていました。

 

 

息子と、Y君と、3人で暮らしたいな。

普通に。

 

Y君からすれば、私に振り回されっぱなしで、

快諾してくれるとは思えないけど、

 

でも、もう本当に疲れていて、

無理を承知で連絡をとりました。

 

結果は、三人でやり直そう、ということになりました。

 

私の悪い癖で、

多分、これまでの、スタジオフリーに起こった出来事を、

一般人のY君に説明してもわからないだろうと、

ただ、「一緒に暮らしたい。」とだけ伝えました。

 

こうして、1995年あたりから、1年少しぐらいは、

3人の生活が始まるのですが、

 

てっきり、Y君が私たちを養ってくれるのだろう、

などと虫のよいこと?を想定していたのですが、、、、

 

いやいやいやいや、

 

私が働くことが前提だったみたいで、

よっぽど、私はデザインで働くのが大好き!と、刷り込まれているのか、

生活費は折半で、なかなか厳しい。

 

息子の出産のどたばた、名づけでもめて、

結局、息子の名前決めに、Y君が参加できず、ふくれている。

 

なので、奇妙な、夫婦別姓、同居は、

健康保険、年金、税金、その他、

すべて、ダブルで払うことになるのです。

 

最も、恐ろしいのは、

 

双方、法律上は「独身」であること。

 

始めの半年くらいは、結構仲良く過ごすことができましたが、

徐々に、私は自宅にあるMACで、デザイン夜中までがしがしやって、

Y君は、夜勤開けの早朝帰宅。

まったく顔を合わせず、1週間が過ぎ、

 

そのうち、3人で出掛ける回数も減っていきました。

 

どの夫婦でも、そういうすれ違い生活はあると思うんです。

 

問題は、「独身同士」

こと、Y君はスナック通いが好きで、

仕事帰りに飲んで帰宅し、

 

私は、デザインの締め切りが迫ると、息子を実家に預け、

迎えに行くまま、私も実家に泊まる。

 

なんてことが続いたある日、

家の電話に、昼間、片言の女性から電話が入るようになりました。

 

Y君、携帯は持ってるのに、同伴のお誘いを、家に電話してくる。

 

ふーーーーん。

 

ケンカ売ってるな?私に対して。彼女。

 

まあ、何も言わずにY君に電話を取り次ぐ毎日。

そう、毎日。

 

そのうち、

「アナタ(私)○○○○サンコト、ナニモワカテナイジャナイ」

と、叱られました。

 

あれ?

 

めんどうくさい展開になりそうだ。

 

 

はああああ。

 

 

当分、実家にいようかな、、、、。

 

して、

 

忘れ物を取りに、アパートへ戻ると、

Y君部屋のベットと、テレビと、洋服が、

忽然と消えていたのでした。

 

「パパ、俺になにもいわずに出てったのかな?」

と、息子。

 

返す言葉がありません。

 

そのまま、アパート放置して、

実家へ、すごすご帰りましたとさ。

 

教訓(私にいう私)

夫婦別姓は、別れても何の保障ありませんし、

婚姻関係でない「夫婦別姓」結婚は、

税金も保険も、年金も、全部2倍2倍の、

養育費だっていただくの、難しいですわよ。

 

お勧めできませんわあああああ。

 

続く

 

注 アナタナニモの彼女は、現在のY君の伴侶です、多分。