スタジオフリーの物語

80年代を駈け抜け30年、ようやく過去の私と向き合う

私の軌跡ー9-4

NPO計画その後

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写真の赤ちゃんは、私の長男。

私は、実家に安心して、長男の世話をすべてまかせ、

D社のパッケージデザインに驀進中だった。

 

2011年1月頃、不登校児の親子の居場所作りのための、

NPOを立ち上げるという計画。

 

その後、大震災が起き、

不登校児どころか、東北を中心に、日本中が命の危険にさらされ、

一旦保留となった計画。

 

それから、およそ、2年後、長女が幼稚園に入り、

いろいろ落ち着いてきたのをきっかけに、

再開したのだが、、、。

 

私と、もうひとり、地元A市では顔の広いSさんという女性が手をあげ、

代表理事二名で活動を始めた。

 

行政へのはたらきかけ、地位のある方々の人集めに余念のないSさん。

どこかの偉い大学教授や、議員さんも、毎回活動の場に登場するようになった。

 

どんどん人が増え、

「Sさん、今日はふたりで、計画の骨子について打ち合わせたいから、

誰も呼ばないでください。」と申し上げても、

 

当日には、5名以上のお偉いさんが登場して、

なにやら、現状の不満に対する、ディベート大会のようになってしまう。

 

不満に対して、いくら議論を戦わせても、

具体策を推し進めていかないと、何もかわらない。

 

そんなこんなで、1年、とうとうSさんは、本音を口にした。

 

「私のお給料は保証してくださるのかしら?」

「できれば○○教授の分もお願いしたいわあ。」

 

あのね、

Sさん。

私たち代表が、そのお給料を稼いでこないと、

自分たちどころか、どなたのお給料もでないんですよ。

 

「じゃあ、1日も早く活動しましょう。」とSさん。

 

だから、その骨組みをつくらないと、前へ進まないので、

ふたりで打ち合わせましょう。

 

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そして、当日、10名集まり、大ディベート大会が始まった。

 

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やっぱり、自分ひとりで、始めよう。

 

もう、長女の小学校入学が目の前。

 

発達検査で、「精神運動発達遅滞」から、

 

「注意優勢型ADHD」「広汎性発達障害」「協調運動障害」の、

具体的な障害名がついた。

 

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しばし、考える。

 

Sさんは、次のターゲットを決め、つっぱしり、

元O電気のKさんという男性、、、

なにやら怪しい偽者の匂いぷんぷん、、、、

東京ガールズショーがKさんが元主催者だと、、、

 

Sさん、大喜びで、私に力説して、

「あたくし、300万円借り入れして、Kさんとビジネス始めさせていただくわ。」

 

どうぞ、どうぞ。

 

「それで、氏家さん、化粧品のパッケージデザインお願いできないかしら?」

「海外ブランドのコピーでお願いしたいの、簡単でしょ?」

 

「、、、、、、、。」

 

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やっぱ、この人、馬鹿なんだ、、、。

 

というか、それを、今頃気きがついた私は、

 

もっと、馬鹿だ。

 

 

続く