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スタジオフリーの物語

80年代を駈け抜け30年、ようやく過去の私と向き合う

私の軌跡ー6-3<ただいま>

6章 心、思い

居場所がほしい。

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ムサビ卒制の銅のレリーフ

 

居場所は、自分で選択、つくるものなのかもしれない。

 

少し大人になった私、20歳頃、

私には、「居場所」「逃避場所」があった。

 

それは、

 

ときとして、実家。

あるときは、赤羽の祖母、叔父の家。

また、あるときは、遊び仲間との時間。

あるときは、好きな異性との時間。

 

何県何市という特定された地名でないのは確か。

 

ひとによっては、

 

まだまだ実家ご健在で、

生まれ親しんだ、「その家、その両親そのもの」かもしれない。

 

 

もう、私も、54歳。

 

 

あと、20年もすると、

おそらく、年上の近親者は鬼籍にはいり、

ちょっと気分転換、昔回帰に、話がもりあがることができ、

いっときの寂しさから開放されていたものが、

 

少なくなってくる、、、

 

かもしれない。

 

 

ただ、

 

私は、すこし早くに、

居場所を見失ってしまっただけ。

 

 

 

前に書いたように、

さんざん、人に振りまわされ、人をふりまわし、

 

気が付いたら、息子と猫3匹だけだった。

 

猫はいまでも、同じ様相で、話をしてくれるし、

信頼もしてくれて、

身体のあちこちをなでたり、寄り添ったりしても、

嫌な顔ひとつぜずに、ごろごろと喉を鳴らしてくれる。

 

ああ、なんて癒されるんだろう。

 

15年以上、

 

私のすったもんだに付き合い、転居を繰り返してもなお、

私が彼らの「帰る場所」らしい。

 

 

私にも、かつて、帰る場所はあった。

 

 

「お母さん、なんか食べるものない?」

ただいまーとも言わず、お腹すいたーと、

もう1年も帰らず、電話が来ても、「もう、ちょっと今いそがしのっ!」と、

邪険に扱っていたにも、かかわらず、

 

母親は、

「もー、まったく、突然来てこれだから、困っちゃううんだけどねええ。」と、

にこにやにやしながら、

ご飯、味噌汁、がめ煮、鯖の味噌煮なんかを、

ちゃちゃっと、出してくれ、

 

「ふう」とかなんとかいいながら、

たばこを吸ったりしていた。

 

これを、「帰る」というのだろう、、、、

 

と、気が付いたのは、

 

すべてを、失ったときだった、

 

病気、怪我で、うしなうそれとは異なり、

 

私は、「失う選択」をしたのだから。

 

また、赤ちゃん時代からの、最初の社会生活。

親、兄弟。姉妹

 

これに、拒絶された、、、

 

いや拒絶したのは、、、、、、私だ。

 

みっともなさ、

不甲斐なさ、

姉としての威厳のなさ

 

これから逃げた。

 

 

のだと思う。

 

帰る場所をなくしたわたしは、悩み苦しみ、

そうして、得た結論。

 

「私が帰る場所になろう」

 

少なくとも、息子理一郎は、

実父との交流は皆無。

私がいなくなったら、息子は帰る場所を失う。

 

だから、私は家庭をつくりたい。

 

私が帰る、息子、娘が帰る、場所。

 

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そんな折、

 

ある先生が言った。

 

「あなたは、困ると絵を書こうするんですね。」

 

そのときは、パートバリバリのほんまもんの主婦でしたから、

 

「いやいやいや、とんでもない!」と。

 

だって、上尾に来て10年。

未だに、私の素性を知るものはいない。

 

美大も、デザイン事務所も、一家離散も何も知らない。

 

それが、心地よいと思っていた。

 

 

思っていた。

 

 

おもっていた、、、、。

 

 

が、、、、内面の私は出たがっていた。

 

帰る場所に。

 

だから、今回は、素直に自分に聞いた。

 

どこに帰りたいか???

 

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それは、自分に帰りたい。

 

 

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ということ。

 

 

 

続く