Studio B-Witchの物語

2016年からスタートした「スタジオフリーの物語」の続編です。

Stories of Studio B-Witch

introduction

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このブログには前編があり、ブログの1話目は2016年、当時は普通の主婦Aだった私は、ひょんなことから自分の中にあった「まだデザインをやりたい私」に気が付き、そもそも私的デザイン史とはどこからだったのか?を書きながら確認することになります。

 

そんなわけで、まったく時系列関係なく、脳の中のデザイン史から書き始めた「Stories of Studiofree<スタジオフリーの物語ー私の軌跡>」では、1章となる部分は20代そこそこでデザイン事務所を設立したところから書き始めました。

 

そして息子娘には大変申し訳なく、離婚なんぞを2度してしまい、私の死後は母親はどんな人生だったかを誰かに確認することができないだろうなあという気持ちもあり、自分史を書いておこうというようなことにもなったわけです。

 

現在は人生2度目の会社設立となり、一旦もとのブログを下書きに戻し、株式会社スタジオビーウィッチに至るまでの200話ぐらいを、よく噛み砕いてみたうえで再度公開設定にしようと思い立ちました。(噛み砕けるのか?)

 

読んでくださっている皆様には、なんにも面白くないただの自分史ですが、そもそもブログってそのような日記でしょうから、どうぞ許しておくんなさいまし。

 

アンチ大喜びの話題盛りだくさんかもしれませんなあ。

 

では。

 

 

2-9 Stories of Studiofree

 

夏休み

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夏がくーーーると思い出すーーーーーー♪

 

夏休み。

宿題。

課題。

 

高校3年は、また今度ね。

ごめんよ。

 

だって、思い出しちゃったんだもん。

 

あのね、

私は、悪いおんなで、

ムサビの課題とか、宿題とか、

 

アルバイトにあけくれていたもんでえええ(ただの、いいわけ)

 

いっつも、美研のS君呼び出しちゃーーー、

「お願い!手伝ってーーーーん!」

と、ぽいと、ブツを渡しておったの。

 

だめな奴、わっかってます、はいい。

 

でね、

ムサビ1年の夏休みの宿題。

ぽいっとな、したわけよ、Sくん、家近いしいいいい。

 

学校始まる直前に、

「ねえ、あの宿題のB2のデッサンできた?」って聞いたの。

 

 

したら、

「う、う、うーーーーーーん。」

「ま、ま、まあね。」

と、おっしゃり、

 

丸まったB2用紙、持ってきたの。

 

 

 

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これ、なの。

 

しかも、ドライバーも乗ってんの。

 

たしかに、なんでもいいから、車のデッサン描かなくちゃいけなくて、

「Sくん、車得意そうだし、お願いーーーーーん。」

と、丸投げした私が悪いんですが。

 

でも、このまま、ガッコに提出しましたわよ。

ヘルメットかぶった人が乗ってて、公道走ってない車のデッサン。

 

笑える、教授やら、助手の顔想像して。

 

わはははははは。

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

2-8 Stories of Studiofree

 

高校生活

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間違って入ってしまった高校も、

数ヶ月もすると目が良くなり(?)、

 

徐々に、姫オタクではない人々、

仲良くしたいなっ!と思える友達の姿が、

私の目にも、ちらほらと映るようになりました。

 

なかでも、S井くん、Mちゃん、とは仲良くすることができました。

きっかけは、お互いに洋楽と洋画が大好きだったこと。

 

うんうん。

 

Mちゃんは、美形アーティストが大好き(と、いうと顔だけじゃなくて、曲もいいのーーーーーーーー!)と怒られると思いますが、

確か、ベイシティ・ローラーズとロッド・スチュアートとビージーズが好きだったと思うけど、違ったらコメントしてください。

 

S井くんは、何しろ映画の話も、音楽の話も、どこからどこまで話したか、書ききれないくらいの会話をしたと思います。

私がテイタム・オニールが好きだと言うと、実は僕も好きなんだ、と話が合い、毎日のように夜長電話をしていたと思います。

映画にも、よくでかけ、楽しく充実した日々でした。

 

中学あたりから、洋楽ファンはラジオのFEN小林克也の番組で、新曲をチェックしては、レコード屋へ急ぎました。

わたしは、ABBAと映画音楽が好きで、毎日レコード屋で新譜を探しました。

 

でも、やっぱり、サタデーナイトフィーバーは、映画も良かったし、社会現象になるほどDISCOブームをまき起こしたり、サントラ盤のビージーズも良かったし。

 

やっぱり、この映画と音楽が高校1年の全てだったかのようです。

 

アメリカングラフィティの世界でした。

 

高校2年。

大嫌いな生徒数名と同じクラスになり、行き違いでMちゃんとケンカしていて、

「つまりませんでした。」…ひとこと、これだけ。

 

高校3年は、また、次回で。

 

続く

 

 

 

 

2-7 Stories of Studiofree

 

高校入学初日

 

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写真 ちび妹三歳七五三 多分私高校2年生

 

中学のとき、まず面食らったことがあった。

 

朝礼などで校歌を歌う際、ちゃんと声を出して歌うのは、

みっともないことだったこと。

 

その頃、学校が荒れていた時期も重なると思いますが、

女の先生は毎日のように、生徒のいじわるに泣かされていました。

 

授業中、窓際の生徒は、カーテンを下の方から、びりびりと裂き続ける。

先生の言葉を、全員で(?)おうむ返しをする。

だるまストーブに爆竹をいれる。

合図とともに、一斉に缶ペンケースを床に落とす。

 

真面目にやること=ダサい、みっともないという風潮でした。

 

私は、実際には加担しなかったものの、やる気を見せることもせず、

宙ぶらりんのまま、中学校を卒業しました。

 

そして、高校入学。

 

もともと、行く予定ではなかった高校でしたし、

まあ、目立たず普通に過ごそうと思っていました。

 

その初日、入学式です。

 

校門をはいると、「ちょっと、あなた、こっちきなさい。」と、

男性教師に声をかけられました。

 

「襟を中にしまって、上までボタンを留めなさい。」

 

私は、中3で流行っていた、開襟シャツを着ていました。

「あの、これ、開襟シャツですので、上までボタンありません。」

「どうして、学校で定められた青いシャツを着てこなかったのですか?」

「青または白を着用と書いてあったからです。」

 

そんな押し問答の脇を、つぎつぎと生徒が通り、こちらをちらっと見る。

 

うわっ、はずかしいわ、私。

 

とにかくその場を離れようと、「わかりました。」と開襟シャツの襟を中にしまい、

上までボタンのない襟を、ぎゅうっと中に押し込み、早足で体育館へ向かった。

 

「あーーーーーー。やっぱ、この高校にしなきゃ良かったああああ。」

 

そして、入学式式典。

 

校歌斉唱。

 

日輪は天に~~~♪

 

え?え?ええええっ?

2年生も、3年制も、すっごい大きな声で歌ってるーーーーーーーー!

小学生みたい!

入学式だけかなあ?

 

いやいやいやいや、

 

この学校は、いつも校歌は、大きな声で堂々と歌うのでした。

 

かるちゃーーーーーーしょーーーーっく!

 

授業中も、しーーーーんと、先生の話を聞く。

勉強してても、からかわれない。

髪型気にしない、スカート丈も気にしない。

 

ん? 

 

中学時代、おしゃれに気は使わず、友達少ない、地味でダサい。

ただし勉強だけは人一倍できる。

よくわかんないルールと冗談で、くすくす笑う。

可愛くもないのに「姫」とか「おたく」とか呼び合う。

 

そういう、クラスにひとりはいる、

私が友達になりたくないタイプが集まっちゃた学校なんだ!

 

しっぱいしたーーーーーーーーーーーー!

 

こうなりゃ、いつもの、ダッシュで帰るぞっ!と、心に決めた私でした。

 

 

続く

 

2-6 Stories of Studiofree

 

誤解が誤解を呼ぶ、中3修学旅行事件

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左で寝ているのが私。

右は、多分友達のK子ちゃん。

この写真、あとで、間違い探しあります。

 

して、

修学旅行事件ですが。

 

私が通った中学校、市内で最も大きなマンモス校で、

ひと学年のクラスがA組からJ組まで、40人が10クラス、400人もおりました。

 

そう、お決まりの、京都への修学旅行、

最終日の夜の事件。

 

みんなは、まだ大部屋で夕食後の談笑の真っ最中、

あ、ハンカチわすれた!と、

私は、ただひとりで、自分の部屋へ戻ったのでした。

 

したら、

なんか、布団が一組敷いてあり、

ん?

I森さん?

ジャッキー佐藤命の、女子プロ試験受けるんだ!の、

あの、がにまたで男勝りで、スカートはかない、I森さん?

 

「なんで、寝てるの?具合悪いの?大丈夫?」と声をかけましたのよ。

 

「だいじょぶだいじょぶ、あっちいってて。」とI森さん。

 

傍ら見ると、いつも元気で明るいAぶー君が、

窓の景色みながら、ぼーっと立っている、、、。

 

大人な発想をまだまだできなかった私だったもので、

 

意味わかんなくて、I森さんに「大丈夫?」としきりに聞いてしまい、

その隙に、Aぶー君は、すたこらさっさと逃げてしまったのでした。

 

ま、いいか。

 

と思い、忘れ物のハンカチを取り、大部屋へ戻ると、

女の子が「りいちゃん、今部屋行ったの?」と聞くのです。

「行ったよ。I森具合悪くで寝てたけど、大丈夫かな。」と申しましたの。

 

夜、寝静まった頃、肩をとんとんとされ、

目を覚ますと、さっきのAぶー君でした。

 

ちょっと、ちょっとと手招きされ、廊下に出ると、

 

「いやーー、助かったよ。I森から、<あたしを好きにしてっ>て、

迫られて困ってたんだよ。」ですと。

 

「ふーん。」と私。

「じゃ、寝るからばいばい。」

 

と、再び部屋に戻りましたら、

 

ひえーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!

 

Aぶー君と何分話してたんだか、覚えてないけど、

 

その間に、女子の半分はいようかという、

部屋いっぱいぎゅうぎゅう詰めの、およそ200人。

ズベ公を前列に、ずらーーーーーーっと並んで座っておったのでした。

 

「ななな、なに?」と驚いていると、

「あんた、I森がAぶー好きで告白してんの邪魔したんだって。」

「あんた、M君が好きなんじゃないの?」

「なんで、あんたがAぶーとつきあうのよっ!」

 

と、散々ののしられ、

違うけど、めんどくさっと思って、何も答えず部屋を出ました。

 

したら、どどどどどどどどっと、地響きをあげながら200人が追っかけてくるもんで、

 

ひえーーーーっと思い早歩きで歩いているところに、

 

「あれ~、なにやってんの氏家さ~ん。」と、

 

なにやらほろ酔いの、M中君とさっきのAぶー、その他男子10人くらいと、

ばったり遭遇いたしまして。

 

「なんかわかんないけど、追われてるから、かくまってくんない?」

などと、とっさに口がしゃべってしまい、

 

男子トイレに個室に、酔っ払った男子バリケードができてしまったのです。

 

ひとまず、安心?????

 

いやいや、これが火に油を注いでしまい、

「だせーーーーこりゃーーーーででこーーーい!」

先生出動の大騒ぎ。

 

でもま、一件落着?

 

いやいや、

その、帰りの新幹線。

 

後ろでひそひそやってる、よっぱらい男子の一味。

 

ただ、鼻ちょうちん出して、ぐらぐら寝ていた私の横に、座りやがったのです。

 

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これがね、もう火にニトロぶっこんだみたいになってしまい。

 

この日を境に、なぜか、あっちこっちに手をだす悪女として、

200人相手に戦うことになってしまったのでした。

 

でも、もう卒業だしいい、と暢気に考える私でございました。

 

 

続く

 

 

 

 

 

2-5 Stories of Studiofree

 

愛と誠

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↑写真は中3かな。(いや、電話もってる奴ではない)

 

愛と誠が大ヒット。

テレビドラマか映画かは、忘れてしまいましたが、

漫画では可憐で美しい、乙女カットの早乙女愛役を池上季実子さんが演じ、

あまりの違いにげんなりしてしまい、

傷ついた誠を、雨の中ずぶ濡れになり影からでみつめも、

ちーっとも可愛そうでも、いじらしくもなんとも感じませんでした。

濡れてべたっとした髪の毛と、たれ目と、ぽっちゃり唇、

もろもろが気になって気になって。

 

私は断然、影の大番長、高原由紀が大好き。(漫画のね)

 

いつも、凛として、冷たい流し目で、

ツルゲーネフの「初恋」という、

分厚い本を小脇に抱えている。

 

その、

あら、愛さんごきげんよう。

にこっ。

の由紀さんが、岩清水君にも負けない大和魂?で、

分厚い本に隠されたナイフをシュッと、

そうシュッと、敵の相手のほっぺたぎりぎりのところを目掛けて、

軽ーーーーーく、シュッと投げてしまう。

 

中学時代、70年代半ば。

世の中は、いわゆるつっぱりズベ公大流行でした。

 

女子は、見た目ですぐバレるような、

オキシドール脱色した、まっ金金のクルクルチリチリパーマで、

ブレザーの上着をハサミでチョッキン、ウエストまで切ってしまい、

プリーツスカートは、くるぶしまで、ずずっと長い。

なぜだか、脇のファスナー下30cmのところには、

幼稚園の名札に使う、赤いプラスチックの安全ピンをつけ、

上履きも、デッキシューズも踵を潰して、ざーりざーりと引きずって歩く。

 

私は、そういうわざとらしさが嫌い、

 

高原由紀ように、いざ!いざ!いざっ!

というときに、強くありたいと思っていました。

 

それが、なんだか、ズベ公の皆様には不気味に映ったらしく、

私を仲間に引きずりこもうともせず、

かといって、喧嘩を吹っかけてくるわけでもなく、

 

まあ、中学3年の就学旅行までは、平和だったんですがね。

はい。

 

して、その事件とは。。。。。。。

 

続く

 

 

 

2-4 Stories of Studiofree

 

 日本沈没

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父親です。

 

これは、正確に何年ごろの写真かはわかりませんが、

おそらく、

TVラジオの交通情報を、ヘリコプターで上を飛んでいるパイロットが、

実況している昭和40年代ではないかと思います。

 

朝のニュース番組では、「では、ニッポン放送のUさーーん。」と呼ばれ、

渋滞や事故などを父が伝えていました。

 

この頃、日本沈没や、ノストラダムスの大予言、タワーリングインフェルノなど、

パニックムービーが大ヒットしていました。

 

父は、海外出張のない、国内の仕事のとき、

しょっちゅう、私たちが通う小学校や自宅の、

もう手が届きそうな、建物の3階ぐらいまでの高さまで、低空飛行しては、

 

「おーーーーい!」と呼んで、上空をくるくると旋回して遊んでいました。

 

なので、

日本は島国で、ひょっこりひょうたん島みたいに、海の上に、ぷかぷか浮かんでいると思っていた私は、

「日本が沈没する前に、お父さんはヘリコプターで、おーーーい!って来るのかな。」なんて思っていました。

 

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現在は、長野で、16歳だか17歳だか年下の奥さんと、巨峰農園を借り、葡萄づくりをしています。

 

しかし、ヘリコプター好きは変わらないようで、

 

ある日、上の息子が小学生の頃、

初めて長野に遊びに行ったとき、

「ここでちょっと待っとけ。」と、私らを空き地に残し、すぐ近くの小高い山から、

 

「おーーーーーーーーーい!」

と、ちっちゃいヘリコプターに乗った父が、すぐ上空をばらばらと、

旋回してしてきました。

 

それ、誰のヘリコプター?

 

続く

 

15年前くらいの父

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